1.科学的社会主義とは

太郎さん:

それでは、科学的社会主義とは?

花ちゃん:

ほら、始めから「科学的社会主義とは」からくるかなぁ。硬いのよネ・・・!

太郎さん:

でもさ〜ッ、日常使わない言葉がたくさん出てくるからさ〜ッ、・・・あれっ!!どうしよう?なにか花ちゃんみたいになっちゃった!

花ちゃん:

言葉はわかりやすい方がいいけど、言い方を変えると、意味が変わるし、社会を科学するというのは厳密だからね・・・。あれっ!!太郎さんみたい。

太郎さん:

さすが花ちゃん!百人力だ・・・!

花ちゃん:

一緒に力を合わせて学ぼうって言ったでしょ!千里の道も一歩からよ!

太郎さん:

それでは、あらためて、「科学的社会主義とは」? 社会主義というのは、一口に言えば、僕たちの「未来社会」論なんだ。今日の社会形態である資本主義社会をのりこえて、もっと新しい、より高度でより合理的な、人間にとってより豊かなすばらしい社会をつくる、これが僕たちの目標なんだ。

花ちゃん:

チョット待って!「僕たち」って言うけど、それは、日本共産党の人たちだけの目標でしょ?

太郎さん:

早いチョット待っただネ!先が思いやられるナ〜ッ!日本共産党の人たちの目標なのか?花ちゃんも含め、国民、皆の目標になり得るのか?話の最後に、この問題に立ち帰ってみようネ!。

花ちゃん:

わかったわ!それじゃ先へ、どうぞ。

太郎さん:

それじゃ、始めよう!!未来社会論というのは「科学的社会主義」の創始者であるマルクスさん、エンゲルスさんにはじまったものではなく、彼らに先立つ先達たちがいたんだよ。(P12)

花ちゃん:

それじゃ、そのあたりから、グチャグチャに噛み砕かない程度に、噛み砕いて話を聞かせてネ!

太郎さん:

歴史をさかのぼること、18世紀末!ヨーロッパでフランス大革命が起こり、「主権在民」の民主共和国をつくりだしたんだ。民主主義革命といわれているものなんだ。この革命が旗印にしたのは、「自由・平等・友愛」、つまり、すべての人びとが自由で平等な社会をつくりあげることだったんだよ。

花ちゃん:

学校の世界史で習ったような気がするけど〜〜ッ。それで〜〜ッ。

太郎さん:

ところが、この革命が、実際にやりとげたことは、封建的な障害を取り払って、資本主義の体制に発展の道を開くことだったんだよ。しかし、労働者をはじめ、はたらく民衆はいちばんの重荷を背負わされ、貧しい人びとと富んだ人びととの対立はいよいよ大きくなっていったんだ。

花ちゃん:

民衆に重荷を背負わせた所は、学校では習っていないわ。

太郎さん:

革命の理想に燃えた人々のあいだに、目の前のこの社会を見て、これがいったい「自由・平等・友愛」の社会なのか、理性が支配する合理的な社会なのか、そういう深刻な疑問をもった思想家たちが現われたんだよ。その代表的な人物が、フランス人のサン・シモンさん(1760〜1825年)、フーリエさん(1772〜1837年)、イギリスのオーエンさん(1760〜1858年)の3人なんだ。

花ちゃん:

サン・シモン、フーリエ、オーエンね!やっと聞いたことがある人が出てきたわ!

太郎さん:

しかし、この人たちには、共通の大きな問題点があったんだ。それは、こういう社会があったらいいじゃないかという形で、自分の主観的な願望から出発して描きだしたことなんだ。だから、この理想社会を生みだす条件がどこにあるのか、またこの社会を誰がつくるのかについても、示すことができなかったんだよ。

花ちゃん:

一言で言えば、頭のなかで合理的な社会を考えだして、これが理想社会だということを世間が納得すれば、それで未来社会への道が開けると考えたのね。・・・・!そうそう、思い出した。その人たちのことを「空想的社会主義者」と習ったわ!

太郎さん:

そうそう!この「空想的社会主義者」に対応する言葉として「科学的社会主義」があるんだよ。でも・・・ッ。この「科学的社会主義」は、学校では、ほとんど教えてくれないけどネ・・・・・ッ!

花ちゃん:

教えてくれなかった理由は後からとして、前向きに学びましょ。マルクスさんやエンゲルスさんが、その「空想」を「科学」に高めたんでしょ!

太郎さん:

また、百人力に・・・・。いや、花ちゃんに助けられたね。
 第一に、空想家であった先達のように願望から出発するのではなく、いまの自分たちが生きている現実社会を「科学の目」で分析し、そこから資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい形態とは、どんな社会にならざるをえないか、また、より高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されていくかを、「科学の目」で明らかにしたんだ。
 第二に、未来社会と言うものは、将来、そういう社会づくりが現実の問題となるときに、その世代の人間が、そのときの歴史的な条件のもとでつくってゆくもので、なにか青写真や設計図があらかじめつくられていて、それにそって社会を組立ててゆけばよい、といったものでは絶対にないということなんだ。
 つまり、将来の歴史は将来の世代の人たちにまかせる、言い換えれば、「歴史に命令しない」ということで、マルクスさん、エンゲルスさんがこの原則的な立場を堅持したことは、非常に賢明なことだったんだ。

花ちゃん:

それって、若者まかせってことじゃないの?

太郎さん:

大丈夫、ちゃんと、マルクスさんやエンゲルスさんは、私たちに用意してくれたものがあるんだ。それが、さっきから何回も出ている「科学の目」なんだ。

花ちゃん:

でも、マルクスさんやエンゲルスさんが生きた時代から150年ぐらいたっているんじゃないの。かなりの老眼になっていない?

太郎さん:

老眼は、ひどいな・・・。
 でも、マルクスさんやエンゲルスさんが生きていた時代には、一つの特殊な考えと見られていたものの見方が、現代では、すでに世間のいわば常識になってしまったこととか、マルクスさんもエンゲルスさんも予想しなかったような規模で、その正しさが証明されているとか、そういうことが無数にあるんだ。
 かさねて言うけど、いま僕たちが世紀をこえて受けつがなければならないのは、なによりもまずその「科学の目」であって、細目にわたる個々の命題ではない、ということなんだ。(P18)

花ちゃん:

太郎さん、わかったわ!その「科学の目」が老眼なのか、世紀をこえて受けつぐべき目なのか、見ていきましょ!

太郎さん:

マルクスさん、エンゲルスさんが未来社会論の基礎にすえた科学とはなにか、というと、これはたいへん広範なんだけど、レーニンさんがそれを「三つの構成部分」からなっていると指摘しているんだよ。
 その三つの部分とは、未来社会論、つまり社会主義論に、世界観・哲学の問題、社会を分析する要となる経済学をくわえたものなんだ。
 ここで、ひとつ心して聞いてほしいのは、たとえ、マルクスさんやエンゲルスさん、レーニンさんであれ「科学的社会主義」の先輩たちの個々の言説を絶対化しないということなんだ。
 だから日本共産党は、世界で何十年も使われてきた「マルクス・レーニン主義」という用語をいっさいやめて「科学的社会主義」と言ってるんだ。それじゃ、「科学的社会主義」の中身に入ろう!(P20)