2−3.史的唯物論(してきゆいぶつろん)

太郎さん:

史的唯物論は、唯物論のものの見方の社会版なんだよ。でもね、はじめに話した唯物論か観念論かの問題や、世界を一般的にどう見るかという問題とは、かなり次元が違っているんだよ。(P56)

花ちゃん:

どう次元が違うの?

太郎さん:

世界観一般としては、唯物論の立場に立っている人でも、社会の見方としては唯物論的な立場に立たない、どちらかというと、観念を中心にした見方をするという人は、ずいぶんいるんだ。

花ちゃん:

世の中を、いろいろ理論整然と話したりして、評論家的な人は、多いんだけど、最後は、「結局、世の中、こんなもんよ」とか、「世の中変わらないわよ」と結論づけるのよね。私も、人のことは言えないけどね!

太郎さん:

 でも、悩まなくてもいいよ!僕も同じようなことは、いつも感じているよ!マルクスさんやエンゲルスさんでさえ悩んだことだし、それを乗り越えていくなかで、「独自の唯物論的な見地」を確立したんだ。

花ちゃん:

エ〜ッ!マルクスさんやエンゲルスさんも・・・!悩み過ぎるとダメだけど、たまには悩むことも大切なのかな?「独自の唯物論的な見地」って史的唯物論のことでしょ!

太郎さん:

そうだよ!マルクスさんは、学生のころは、まずヘーゲルさんの観念論に熱中するんだけど、その観念論にあきたらなくて、次には、ヘーゲルさんから出発して唯物論にゆきついたフォイルバッハさんの、とりこになったんだ。ところが、フォイルバッハさんは、社会の見方は後ろ向きで、唯物論的な見方をしない、政治問題や社会問題でも後ろ向きだったんだ。

花ちゃん:

マルクスさんやエンゲルスさんは、なぜ、その唯物論者のフォイルバッハさんの姿に、なにを見たの?

太郎さん:

それは、ただ現実世界を実在なものと見るという一般的な唯物論の立場をくりかえしていたのでは、社会や歴史の問題は解決しない。社会については、それを見る「独自の唯物論的な見地」を確立することが大事であることに行きついたんだよ。

花ちゃん:

なぜ、なぜ、なぜ・・・。を繰り返して行きついたところが、史的唯物論ってことなのね!次元が違う話のようだけど、なにか、今の世の中のいろんな人たちの悩みの本質に迫れるかもしれないわね!

太郎さん:

本質に迫れるかどうか?それと、次元が違うようで、本当は、身近にあって気付いていないことなのか?謎解きをしながら、一つ一つ進んでいこうね!

花ちゃん:

ひとっ飛び!ってな訳にはいかないわね!

太郎さん:

だよね!
 それじゃ、まず!史的唯物論は、社会とその歴史をどう見るか?から見てみようね。
第一に、社会を見るとき、人間がものを生産する経済を土台にして見る、ということ。
第二に、社会の土台をなす経済の型は、なにによって決まるのか、つまり、働く人間と生産手段との関係が、そのいちばん大事な要になるということ。
第三に、・・・。

花ちゃん:

チョット待って!経済って、株やドルを売ったり買ったり、会社をどう経営して儲けるかとか、損をするとかのこと?

太郎さん:

大マスコミが言っているのは、確かに花ちゃんが言ったようなことを経済のように言って、僕たちとは、違う次元の世界のように伝えていることが多いけど、本来、人間はまず、食べ、飲み、住み、着る、そして、それに必要なものを生産するという行為をしなければならないけど、これ自体も全て経済なんだよ。
 大マスコミが言っているのは、表面上の一部の点だけを取り上げて、根本的な社会生活のための経済から、僕たちの目をそらそうとしていると思うね!

花ちゃん:

大マスコミは、なぜ、目をそらせたいの?

太郎さん:

それは、大マスコミが時の権力者の広報の役目をしたり、大企業からの広告料が主な収入源であることからして、国民が知ったり、考えたりすることを、嫌がっているようだね!

花ちゃん:

なぜ、国民が知ったり、考えたりすることを嫌がるの?時の権力者は・・・!なにか深みにはまっていくみたい!

太郎さん:

だから、一つ一つ進んで行こうって言っただろ!それじゃ、さっきの続きに戻ろうね!
 第三なんだけど、経済の型から見て、原始共産制・奴隷制・封建制・資本主義という四つの型があったと見ること、なんだよ。

花ちゃん:

それ!知ってる!学校で習ったわ!でも、なぜ、経済を型から見ていくの?

太郎さん:

なぜが、また、きた・・・!!
 それは、働くものが、その行動に必要な生産手段を自分でもち、自分のために労働するのか、あるいは、他人がもっている生産手段を使って他人のために働くかは、決定的な問題なんだ。
 社会を構成している人びとの階級的な区分も、経済生活のなかでの地位、とくに生産手段にたいする関係が基準になって決まっているんだ。

花ちゃん:

・・・ってことは、生産手段を誰が持っていて、誰がそれを使って生産し、誰のものになるかということになるのね。

太郎さん:

それと、もう一つ!誰が搾り取られているかだよね!

花ちゃん:

奴隷主と奴隷、封建領主と領民、資本家と労働者ということなのね。この区分を階級って言うんでしょ!でも、原始共産制は、階級ってないの?

太郎さん:

階級って皆のなかに、意識はしていないけど、この点をしっかり見ることができると人類社会の発展が見えてくるね!原始共産制は、もう少し、あとで見てみようね!
 史的唯物論は、社会を経済の土台から見るという点でも、歴史を階級と階級の闘争の角度からとらえる、という点でも、マルクスさんの時代には、まったく新しい見方だったんだ。
 だいたい、階級という集団は、当時は、よほど科学的な分析の目をこらさないと、社会を動かす力として見えてこないよね。

花ちゃん:

階級って言葉は、あまり使わないけど、資本家・労働者・農民、勤労市民・中小企業家が、いろんな組織をつくって、社会を動かしているわよね!

太郎さん:

百数十年前には、マルクスさん・エンゲルスさんのまったく新しい発見だったものが、いまでは歴史の動かしがたい見方として常識化しつつあると思うね。(P60)
 ここで、チョットおもしろい話があるんだ。それは、マルクスさんが日本をどう見ていたか「資本論」のなかに登場しているんだ。

花ちゃん:

へ〜〜ッ!マルクスさんは日本に来たの?

太郎さん:

来ていないよ!例えば、百姓は、生かさず殺さずというような過酷な条件のもとで、農民をおさえこんでいた封建日本の農村事情に通じていたようだし、「消費の廃棄物」が活用され、生産費の「大きな節約」が行なわれていることも知っていたんだ。
 それと、幕末の日本の方が、ヨーロッパの中世像を忠実に現していると断言しているんだ。

花ちゃん:

「消費の廃棄物」って例のもの?でも、よく知ってるのね!

太郎さん:

そうだよ!マルクスさんの情報源は、どうも、イギリスの初代公使オールコックさん(1809〜1897年)が書いた「大君の都−幕末日本滞在記」のようだね!
 ヨーロッパは、全体として見ると四つの型を全部経験していると言えるけど、奴隷制と封建制の区切り目には、ゲルマン民族の大移動があって、一つ一つの民族が、社会発展の型を順序正しく経験したとは言えない問題があるんだ。しかし、日本は、日本列島という同じ土地のうえで、原始共産制から資本主義まで、マルクスさんがあげた四つの型の社会をすべて、しかもたいへん順序正しく経験してきた、世界でほとんど唯一の社会なんだ。

花ちゃん:

そう言われれば、旧石器時代・縄文時代(新石器時代)が原始共産制で、邪馬台国・卑弥呼の時代(三世紀)が奴隷制で、鎌倉幕府(1192年)の成立のころから封建時代、そして、明治維新(1868年)が資本主義のはじまり、ということになるのかな!

太郎さん:

今年は2010年だから、資本主義は、約140年、封建時代は、約700年ってことになるよね。

花ちゃん:

でも資本主義は、もう、「賞味期限」切れって感じでしょ!

太郎さん:

日本は、四つの社会体制を順序正しく経験をしてきた、世界でも珍しい社会なのだから、将来の五つ目の体制についても、21世紀にぜひそこへ足をふみいれる時代を開きたいね。

花ちゃん:

気持ちは、わかるけど一つ一つ解明しましょうね!

太郎さん:

ハイ、わかりました!それじゃ、さっきの宿題の原始共産制はどんな社会かも含めて、日本の歴史の特徴を見ていこうね!(P69)
 日本ならではの特徴の一つに女性史の問題が、あるんだよ。

花ちゃん:

女性と歴史の関係で、なにかあるの?

太郎さん:

それが、原始共産制の社会では、おおありなんだ。エンゲルスさんの「家族、私有財産および国家の起原」という本のなかに「女性の世界史的な敗北」という言葉があるんだ。
 原始共産制の社会では、男女の差別というものはなく、反対に、親子の系統は、女性の系統でしかたどれない社会だったから、女性の社会的地位はたいへん高いものだったんだ。
 ところが、社会が階級社会に変わったとき、家族関係も男子中心の夫婦形態に変わって、女性が差別される存在に変わったんだ。このことを、エンゲルスさんは「女性の世界史的な敗北」と呼んだわけで、それは、共産制から階級社会への転換の時期に起こったことなんだ。
 だから、ヨーロッパでは、古代や中世には、文学・芸術の面でも、女性の文学者は生まれていないんだよ。

花ちゃん:

でも日本には、紫式部や清少納言などの女性文学者がいたわよね。日本の女性は敗北したの?

太郎さん:

日本の女性が、階級社会の成立の時点で、男性中心の家族形態による「世界史的な敗北」を経験していないんだ。「源氏物語」(11世紀のはじめ)に出てくるけど、結婚というと、妻になる女性のところに男性が通う「通い婚」「妻問婚(つまどいこん)」が普通で、家族の形態も女性中心で、子どもにたいしては、父の系統ではなく、母の実家が権限をもっていたんだ。
 男性の家に女性が入る「嫁取婚」になるのは、鎌倉時代の武家から始まったと言われているんだ。
 日本ならではの特徴のもう一つは、貨幣をめぐっての話なんだよ!

花ちゃん:

貨幣って大和王朝の頃から、確か、あったわよね。

太郎さん:

ヨーロッパでは、貨幣経済というのは、階級社会になった、かなり初期のころに始まっていたんだ。
 日本でも、8世紀のはじめに、日本最初の貨幣をつくったんだけど、経済とはこわいもので、条件が熟していないと、権力者が、どんなに号令をかけても駄目で、この時代の貨幣は、やがて滅びてしまうんだ。

花ちゃん:

いつまでも物々交換ってな訳にはいかないでしょ!

太郎さん:

その後、経済がすすんで貨幣が必要になってくるんだけど、貨幣をつくって全国で統一して使わせるだけの実力をもった政権がなかなかできないんだ。そこで、中国から貨幣を大量に輸入して使うという貨幣経済が、源平の戦乱のころに生まれたんだ。

花ちゃん:

永楽銭なんていうのが中国貨幣でしょ!

太郎さん:

よく知ってるね!結局、国産貨幣が本格的に全国で流通するのは、江戸時代になってからなんだよ。

花ちゃん:

へ〜〜ッ!約400年前ぐらいの歴史しかないの!ヨーロッパとはずいぶん違うのね。

太郎さん:

このように、大きな流れでは社会の世界史的な移り変わりを典型的な形で経験しながら、いろいろな側面に日本ならではの特色があって、それにはそれだけの社会的根拠があるんだ。こういう目で、日本の歴史を見ると、史的唯物論の値打ちも、よりおもろしく分ってくるね!(P73)

花ちゃん:

でもね!史的唯物論って、なにか、つかみ所がないように感じるわ。

太郎さん:

それじゃ、また、マルクスさんとエンゲルスさんに戻って、彼らが残してくれた文章を見てみようね!それと二人の説明の角度がまったく違うので、そのあたりも見てほしいな!

花ちゃん:

マルクスさんは、なんと書いているの?

太郎さん:

マルクスさんの文章は、「経済学批判論」(1859年)の「序言」のなかで説明しているんだ。
◎人間の「社会的存在」が、かれらの「意識」を規定する。
という文章は、史的唯物論の社会観を、なぜ「唯物論」と呼ぶのかの、説明になっているんだ。
◎生産関係が新しい関係に変わる「社会革命の時代」、なにがこの変革の原動力となるのか。経済的基礎の変化と上部構造の変革とはどんな関係に立つのか。ある「社会構成体」は、どんな条件がそなわったときに「没落」するのか。(上部構造→経済を土台、政治・宗教などが上部構造)
についても説明しているんだ。そして、次の文章は、新しい時代を開く、僕たちのへのメッセージにも聞こえる。それは、
◎「人間は、つねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的な諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生成の過程にある場合にだけ発生する、ということが、つねに見られているだろうからである。」という文章なんだ。
◎マルクスさんは、資本主義は、階級と階級の「敵対」関係を特徴とする社会としては、人類史上の「最後の・・・・形態」であり、「この社会構成体でもって、人間社会の前史は終る」という意味深長な言葉で、文章全体を結んでいるんだ。「最後の敵対的形態」につづくのが、階級による階級の搾取のない社会主義・共産主義の社会であり、そこから「人類の本史」が始まるのだ、という壮大な未来論が、この一文にこめられているんだ!

花ちゃん:

エンゲルスさんは、なんと書いているの?

太郎さん:

エンゲルスさんの文章は、「フォイルバッハ論」のなかに出てくるんだ。
◎まず、社会の発展は、自然の発展とはどこが違うのか、という問題から出発しているんだ。その違いは、社会の歴史をつくるのは意識をもって行動している人間だ、ということなんだ。
◎しかし、社会は、たくさんの人間によってなりたっているから、一人一人の人間がいろいろな意識をもっても、その人が思ったとおりに社会が動くものではないんだ。相互のぶつかりあいもあれば、打ち消しあいもある。
◎そこから、社会を動かしてゆく力としては、社会全体の動きに影響があるような、「大きな集団」の意志と行動が問題だ、という結論が出てくるんだ。それが、社会の土台でもある経済のなかに根拠をもった、階級という集団なんだ。
 以上がエンゲルスさんが論じている内容だけど、以前には、歴史を動かすこの「集団」を探究することは、ほとんど不可能だったんだけど、資本主義になってからは、一方では、資本家階級という大きな集団、他方では、労働者階級という大きな集団、この集団の動きで社会の歴史がすすんでゆく様子が、目に見えるようになったね!
 そして、この目で過去をさかのぼってゆくと、その時代なりの階級が、歴史を動かしてゆく重要な役割をはたしてゆくことが分かるね!

花ちゃん:

歴史は、ある人物の力で動かされているように思っていたし、私たちのような一人の力は、無力だとも思っていたけど、歴史をよく見れば、ある人物は、つねに民衆の動きを見ながら、その力を利用していたわね!
 そうか、わかったわ!時の権力者は、民衆を個々バラバラにしたがっていたのは、団結すると、歴史を動かす力になることを知っているからなんだわ!労働者が団結すれば、「人類の本史」が開く!

太郎さん:

チョット待った!そんな単純じゃないよ。
 世界観は、ここまでだけど、僕たちのものの見方・考え方や、社会を動かしているものの土台である経済学がまだ、あるよ。
 「マルクスさんやエンゲルスさんの目で見た経済」と「花ちゃんの目でみた経済」・「僕の目で見た経済」どこが同じで、どこが違っているのか・・・!
 楽しみだね!!