3−2−2.資本主義経済の推進力とその矛盾

太郎さん:

では、この資本主義経済は、なにを、推進力にして動くのか。マルクスさんは、「資本論」の全巻で、「できるだけ大きな剰余価値の生産」にこそ、資本主義経済の推進力があることを、あらゆる角度から解明しているんだよ!
 この問題について、マルクスさんの代表的な文章のいくつかを見てみよう。
・「資本主義的生産過程を推進する動機とそれを規定する目的とは、できるだけ大きな資本の自己増殖、すなわちできるだけ大きな剰余価値の生産、したがって資本家による労働力のできるだけ大きな搾取である。」

 

・「資本家としては、彼(資本家)はただ人格化された資本にすぎない、彼の魂は資本の魂である。ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能をもっている。」

花ちゃん:

「資本の魂」って日本共産党が言っている、「利潤第一主義」ってことでしょ!でも腹が立つわね!

太郎さん:

資本家が剰余価値のどこまでもの拡大にかりたてられるのは、その資本家の個人的な悪徳によることではない、「人格化された資本」としての必然的な行動、つまり、資本の代表であるかぎりは、そういう行動をせざるをえないものなんだよ!
 利潤第一主義が資本主義経済を動かす最大の原理だという指摘は、すべての資本主義社会に共通する原理だよね。しかも資本主義がすすめばすすむほど、個々の資本の個々の企業の行動原理というだけでなく、政治をはじめ、社会のさまざまな領域が利潤第一主義の原理におかされてゆくようになるんだ!

花ちゃん:

その「利潤第一主義」に、社会のどのような領域が、どのようにおかされてゆくの?

太郎さん:

 たとえば、失業問題があるんだ。いままで、経済界では、もっぱら「人減らし」のリストラが競争でおこなわれ、失業率が高いままになっているよね。ましてや、政府もこれを応援する立場で一貫していたよね。日本経済全体の利益よりも、大企業の利潤が先と言う利潤第一主義の不合理さを、あからさまに示した典型だよね!

花ちゃん:

無駄な公共事業の問題もあるわ!
 道路族とか何とか族とかいう、大企業から政治献金をもらっている国会議員が、福祉予算を切り捨てて、相変わらず、税金を公共事業につぎこんでいるよね!

太郎さん:

人間の経済活動が、人間の生存に必要な環境を破壊する公害問題も、利潤第一主義が人間社会にもたらす害悪の筆頭にあげなければならない問題だよね!

花ちゃん:

まだまだ、いろんな問題がありそうね!

太郎さん:

そうだね!でも、「利潤第一主義」の問題を一つ一つどこまでも追求することは、僕たちの未来社会に一歩一歩近づいてゆくことなんだと思うんだ。
 マルクスさんが、剰余価値、利潤の追求こそ「資本の魂」だと見抜いたことは、現代の日本の私たちにとっても、社会の不合理をつく「科学の目」を提供してくれるとも言えるよね!(P109)
 「利潤第一主義」が、資本主義体制の根底をゆるがす矛盾を二つの面から見てみよう!

花ちゃん:

今、日本では大企業が空前の利益をあげているのに、この利益拡大が、なぜ資本主義体制の根底をゆるがすのかな?資本家は笑いが止まらないのに・・・!

太郎さん:

一つ目は、資本主義と社会の多数者との矛盾なんだ!
 資本は、それこそあらゆる手段を駆使して、労働者からより多くの剰余価値をくみだすための手立てを講じてくるんだ。
 19世紀の労働者の生活と21世紀の労働者の生活を比べたらより豊かに、より便利になった側面は多くの分野で見られるよね。さらに、労働者も組合をつくって、搾取ともたたかい、今日では、19世紀の労働者がもたなかった多くの工場立法や社会保障制度をかちとってきたよね。
 しかし、19世紀には経験しなかった多くの苦難と「新しい貧困」が、今日の労働者にのしかかっていることも、まぎれもない事実だよね!

花ちゃん:

そう言われれば、公害による生活、環境の破壊や、マルクスさん流に言えば人間の「血と肉」ばかりか、人間の「脳髄と神経」を、もっとも野蛮なやり方で浪費する超過密労働、それと、住宅や通勤の条件の大幅な悪化、などなど数えあげたら切りがないわね!

太郎さん:

そうだよね。資本主義の過去の時代には、存在しなかったものが、たくさん出てきているよね!

花ちゃん:

一見して、より豊かになっているように見えるけど、貧困の格差が大きくなったり、会社は儲けているのに私たちの生活はいつも追いつめられている感じするものね!

太郎さん:

労働者の状態が相対的に悪化していることは、社会全体が「利潤第一主義」から解放されないかぎり、根本的には解決されないんだよ!

花ちゃん:

「利潤第一主義」のいろんな矛盾は、労働者だけが影響をうけているの?

太郎さん:

違うよ!
 小規模ながら自分で生産手段をもつ「小生産者」と言われる、農民・漁民・中小業者・手工業者などの人びとも、大資本の圧迫をうけて、全体として追いこめられているんだ!その人たちは、経営がなりたたなくなって賃金労働者に変わっていっているんだけど、これは、多かれ少なかれ、どこの資本主義国でも、経済の一つの大きな流れになっているんだ。

花ちゃん:

それじゃ、労働者や小生産者の人たちだけなの!影響をうけるのは?

太郎さん:

それだけじゃないよ!
 資本家階級のなかでも、中小資本が圧迫され、大資本につぶされたり、吸収されたりする問題もあるんだ。
 マルクスさんは、蓄積論のところで「資本家による資本家の収奪」と呼んで、この問題に注目したんだよ。とくに独占資本主義(あとで詳しくでるよ!)の段階では、相当な大資本までが、巨大資本による「収奪」の対象となるんだ!

花ちゃん:

大いなる疑問!!
 たしかに、圧倒的多数の人と大資本とは矛盾するけど、大資本が一人勝ちして、どんどん儲けることが、なぜ、資本主義体制をゆるがす矛盾になるの?
 資本主義体制の大もとにいる経団連の人たちは、大笑い状態で「我が世の春」を謳歌しているじゃないの!

太郎さん:

その答えは、もう少し先に話を進めてからにしてもらえる!ここからは、「科学の目」で現状をしっかり分析して、将来を見すえる必要があるから、一つ一つじっくり階段をあがろうね!
 二つ目は、資本主義社会が、経済体制として、これまでのいかなる生産様式ももたなかった深刻な矛盾をかかえていることなんだよ!

花ちゃん:

それじゃ、今まで経験していない未知の世界にもつながっているの?

太郎さん:

未知の世界は、いささか気が早いけど、そこにつながってゆくことだと思うよ!それは、21世紀にもなっても活路を見出だせない恐慌の問題なんだよ!
 恐慌とか不況とかいうのは、物を大量につくりすぎて、その買い手を見つけられないまま、経済が崩壊することなんだけど、物をつくりすぎる過剰生産の悩みというのは、資本主義以前には、人間社会が経験したことのない悩みなんだよね!

花ちゃん:

そう言われれば、それまでの経済的な危機と言えば、干ばつなどで農業生産が荒廃して飢餓がひろがるというような、物が不足していることだったわね!

太郎さん:

過剰生産の危機というのは、資本主義経済になってはじめて人類が出会った危機なんだけど、そこに、資本主義がそのしくみのなかにもっている経済体制としての矛盾が、もっとも深刻な、もっともきわだった形で現われているんだよ!

花ちゃん:

資本主義のしくみのなかにもっている経済体制の矛盾!その矛盾って、どんなことなの?

太郎さん:

それは、「利潤第一主義」が、歴史上はじめて「生産のための生産」を社会の合言葉になるような、経済社会にすすませているということなんだ!

花ちゃん:

「生産のための生産」?それってなあに?

太郎さん:

たとえば、江戸時代の社会を考えてみよう!
 ここでは、貨幣経済もすでに、かなり発達しているんだけど、経済の基本は現物経済なんだ。とくに幕府や領主が農民から駆り立てるのは、お米や農産物などの現物だったよね。しかし、農民からいくら搾りあげようと思っても、それにはおのずから限度があるよね。また、支配者たちの欲望も、基本的には、物質的なぜいたくの範囲に限度があるよね。

花ちゃん:

それじゃ、資本主義は、その限界をなくしたというの?

太郎さん:

そうだよ!
 資本家は、ぜいたくもするし、汚職や腐敗もからんでくるけど、生産も搾取も、もはやそれを主要な目的としてはいないんだ。企業として、できるだけ大きな価値を手に入れ、自分をどこまでも大きくすることが目的だから、それには限界がないよね!
 また、生産技術のあいつぐ革命によって、生産力の飛躍的な発展も可能になってきたし、そういうなかで、資本は、競争者をうちまかし、できるだけ優位な地位を確保するために、どんな障害も突破して、生産と生産力の絶対的な拡大にむかって突進するんだよ!

花ちゃん:

だんだんわかってきたわ!
 必要のない高速道路・橋・トンネル・高層ビル・空港・港など数えあげたら切りがないくらい、無駄なことに税金をつぎこませるのは、「国民のための生産」ではなくて、「大企業の利潤拡大のための生産」つまり、「生産のための生産」に突き進むということなのね!!

太郎さん:

その通りだね!
 しかし、弊害ばかりじゃないんだ。それは、社会的に生産力を発展させ、きたるべきより高度な社会形態の土台となる「物質的生産諸条件を創造」するところまですすんでゆくと、マルクスさんは書いているんだよ!
 資本主義は、このことによって、自分が人類社会の歴史のうえで、より高度な社会に席を譲るために、その途上で歴史的な役割りをはたす過渡的な存在であることを立証しているんだよ!(P117)

太郎さん:

ここで、資本主義の体制的な矛盾について、マルクスさんとエンゲルスさんが書いてあるものを見てみよう!

花ちゃん:

さっき「生産のための生産」は、新しい社会のための物質的な土台を用意したと、言っていたけど、それって、このまま突き進めばいいってことなの?

太郎さん:

突き進めばいいってことではないよ!突き進めばどうなるか、マルクスさんが書いた「資本論」を見てみよう!
 マルクスさんは、まず、資本主義という経済社会の特質としての「生産のための生産」の傾向を、「生産の無制限的な増加」、「自己目的としての生産」、「労働の社会的生産諸力の無条件的発展」、「生産諸力の絶対的発展」に向かっての突進など、いろいろな表現でくりかえしとりあげ、そこに、「資本の歴史的任務」と「歴史的存在理由」があることを、あらためて強調しているんだ。

花ちゃん:

でも、生産力が発展すれば、社会全体は豊かになるし、事実として、皆の生活レベルはあがっているわよね!

太郎さん:

ところが資本主義社会では、その根本が違っているんだ。
 資本主義経済を動かしているのは、資本の「自己増殖」、つまり剰余価値の拡大であって、生産者を豊かにするどころか、反対に、生産者たちを犠牲にしておこなわれることが利潤第一主義のはたらきなんだ。
 資本主義の生産関係のもとでは、「生産のための生産」は、生産の担い手である生産者たちの犠牲でおこなわれ「生産者大衆の収奪と貧困化」が、いやおうなしに進行するんだ。
 そこには、この経済体制の基盤をゆるがす深刻な衝突が、起こらざるをえないんだよ!

花ちゃん:

生産力の発展が資本主義の生産関係、つまり、生産力を持っている資本家と、生産力を使って生産する労働者が、衝突するってことなのかな!

太郎さん:

そうだよ!
 資本主義の生産関係のせまい枠組みとのあいだの矛盾と衝突−−ここに、マルクスさんは、資本主義のもっとも深刻な矛盾−−資本主義経済の全生涯を最初から最後までつらぬく「恒常的な矛盾」を見たんだよ!。

花ちゃん:

その「恒常的な矛盾」は、どんな形であらわれたの?

太郎さん:

それは、恐慌だよ!
 マルクスさんは、恐慌の原因をどう見るかについて、こう述べているんだ。
 「すべての真の恐慌の究極の根拠は、依然としてつねに、資本主義的生産の衝動と対比しての、すなわち、社会の絶対的消費能力だけがその限界をなしているかのように、生産諸力を発展させようとする衝動と対比しての、大衆の貧困と消費制限とである。」

花ちゃん:

ということは、社会的な購買力の限界を考えないで、生産力をどこまでも拡大してゆく資本主義的衝動と、生産者大衆の消費を低くおさえこむ資本主義的抑圧との矛盾ってことなのね!それって、日本の国民自身が、いやというほど経験してきたことじゃないのかしら!

太郎さん:

先っき、花ちゃんが言っていた、バブルの時代のように、「生産のための生産」「開発のための開発」が、国民の消費力のせまい限界にぶつかったとき、「資本主義的生産の衝動」は崩れさったよね。バブルの崩壊だ!
 しかし、それから何年もたったいまでも、日本経済は、バブル崩壊後の不況からぬけだせないでいるよね!この長引く不況の一番の根拠をなしているのが、国民の個人消費の低迷、つまり、マルクスさんの言う「大衆の貧困と消費制限と」にあることは、誰でも知っていることだよね!(P119)

花ちゃん:

しかし、政府と大企業がやっていることは、いちばん必要な国民の生活へのテコ入れではなく、社会福祉の切り捨て、人減らしのリストラなど、生産者大衆の消費を直接減らすことばかりじゃないの!
 こんなことをやっていたのでは、不況から抜け出せないわ!

太郎さん:

そんなことが、分かっていながら、利潤第一主義という「資本の魂」にしばられて、大企業自身もそれを支援する立場にたつ政府も、その泥沼から抜け出せないんだ。
 ここに、マルクスさんが分析した資本主義の根本矛盾の今目的な現れがあるんだよ!

花ちゃん:

資本主義の経済が最初に恐慌に見舞われたのは、19世紀のはじめでしょ!それから約200年間いまだにそこから抜け出せないのね!
 でも、こうやればこうなると分かっていながら、いまだに同じことをやっているのね!

太郎さん:

ここに資本が資本であるかぎりは、のがれることのできない「資本の魂」があるんだよ!
 マルクスさんは、そのことをさして「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」と言ったんだ。これは、資本主義経済の矛盾の本体をみごとに言い当てた言葉だと思うね!

花ちゃん:

フ〜〜ン!マルクスさんって資本主義を深く深く追求したのね!
 それじゃ、エンゲルスさんの方は、資本主義体制の矛盾について、どう言ってるの?

太郎さん:

エンゲルスさんの「空想から科学へ」の一節から見てみよう!(P121)
 エンゲルスさんは、資本主義が生産を、大きな作業場でおこなわれ、また社会全体をあいてにする大規模な「社会的行為」に変える(社会的生産)一方、生産物を手にいれるのも、それを商品として売りにだすのも、個々の資本家の「個人的行為」にとどまっている(資本主義的取得)ところに、資本主義の根本矛盾がある、と書いているんだ!
 このことが「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」とか「生産の社会的性格と取得の資本主義的性格との矛盾」とか定式にまとめられ、資本主義の体制的な矛盾をしめしているんだよ!

花ちゃん:

「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」か!
 たくさんの労働者が分業化のなかで、生産した社会的生産を、資本家個人が取得するってことなのね!

太郎さん:

マルクスさんの定式にしろ、エンゲルスさんの定式にしろ、資本主義の体制的な矛盾のこうしたとらえ方は、社会主義論に直接かかわってくるんだ。
 それは、マルクスさんもエンゲルスさんも、生産力を無制限に発展させる資本主義の傾向そのもののうちに、資本主義の没落の必然性を見たのであって、資本主義がだんだん衰えて、経済的にも後退に向かいはじめるところに、社会主義の展望を見たのではない、ということなんだ!

花ちゃん:

ということは、資本主義が腐敗や汚職や詐欺やごまかしなんかで、自ら没落してゆくんじゃないってことなの?

太郎さん:

そうだよ!資本主義が命をすりへらし、経済的に下り坂になることではなく、経済的な大発展こそが次の時代を準備すると見る、この立場は一貫しているわけで、そのことを、資本主義の体制的な矛盾をとらえる二人の分析からも、よくつかんでほしいと思うよ!
 ここまでは、マルクスさんやエンゲルスさんが生きた時代(19世紀後半)までから分析したことを話してきたんだけど、それ以後の20世紀始め頃の資本主義経済のなかで起きた変化については、レーニンさんの「帝国主義論」という本から見てみることにしよう!