3−4.資本主義から社会主義への移行

花ちゃん:

しかし、いまさら社会主義って言われても、国民は、エ〜〜ッって感じなのよね!
  ソ連や東ヨーロッパの社会主義国を名乗っていた国は崩壊したし、今の中国や北朝鮮からは、いい話を聞かないし!

太郎さん:

たしかに、社会主義国を名乗って、ひどいことをした国はたくさんあったし、今の中国も、民族問題や公害問題、貧富の格差問題など、たくさんの問題もかかえていることは、事実だよね!

 

 さっき、ここからが「科学の目」の出番と言ったのは、社会主義や共産主義の社会がどういうものなのかを改めて考え、その方向にゆくのかどうかをもう一度「資本論:第24章 いわゆる本源的蓄積」の最後の節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」の文章から見てみよう!

花ちゃん:

なにか、すでに答えは決まっているような気がするけど・・・!

太郎さん:

まぁ、まぁ、そう言わないで、一つひとつ、この文章を見てゆこう!
 この文章はたいへん大事な意味をもっているんだ。それは、資本主義的以前の社会状態から資本主義社会を経て次の社会に前進するという歴史的な概括をおこないながら、資本主義の害悪を乗り越えた社会とは、歴史の必然から見てどういう社会にならざるをえないのかを、分析していることなんだよ!
 こうして、この文章では、社会主義・共産主義の社会が基本的にどういう特徴をもつ社会となるのか、という問題について、経済学の立場で見通せる範囲で、基本点を明らかにした文章となっているんだ!

花ちゃん:

前置きは、わかったから、早く聞かせて!(P137)

太郎さん:

了解!それじゃ順序立てて、見てゆこう!
(イ)最初の部分では、前資本主義の社会のなにを出発点と見るのかについて、奴隷や農奴ではなく、「小経営」の生産者をとる、ということが、まず、明らかにされているんだ。この「小経営」は、奴隷制の社会にも、封建制の社会にも存在しており、現実の歴史のなかでも、資本主義を生みだす最大の土壌となったものだったんだよ!
 「小経営」の特徴はなにかというと、それは、労働者(生産者)が、自分の生産手段をもっている、ということなんだ!
 だから、労働者も自分のためのものであり、生産物は、当然すべて労働者のものとなるよね!
 マルクスさんは、自分の生産手段で自分のために労働するというこの状況が、「社会的生産と労働者自身の自由な個性との発展」のための条件となったことを、指摘しているんだ!
 これが、資本主義に先立つ「小経営」における生産と所有の状態だったんだ。マルクスさんは、あとの方の文章で、この状態を「自分の労働にもとづく個人的な私的所有」と呼んでいるんだ!

花ちゃん:

なぜ、マルクスさんは、資本主義以前の話から始めるの?
 わかったわ!資本主義以前の過去を知り、そして、現在を知る、そうしないと、未来は予測できないってことなのね!
 「小経営」者か?自分の生産手段で自分のために労働するか?それって、今で言えば一人親方っていう人たちのことかな?労働するとは、働いてなにかを生み出すことだっけ?ウ〜〜ン・・・!!
 もし、そうだったら、「自分の労働にもとづく個人的な私的所有」って、・・・自分で働いてなにかを生み出し、そのできたなにかは自分のものにする!なんだか、あたり前のことなのよね!でも、でも、でもよ、なぜマルクスさんは、「小経営」に前資本主義を見たの?

太郎さん:

でも、でも、でも・・・って花ちゃん!何んだか脳がフル回転を始めたようだね!それじゃ、なぜマルクスさんは、「小経営」に前資本主義を見たのか聞いてみよう!
(ロ)「小経営」は、生産力の発展という面から見ると、大きな弱点があったんだよ。個人個人が小さな規模で経営をやっているから、生産の大規模化とか科学・技術の大規模な活用とかということは、もともと不可能なんだよね!
 だから、社会の発展がある段階に達すると、「小経営」というこの生産様式は破壊されて、大規模な生産手段、多数の労働者の協業などを特質とする新しい生産様式が生まれてくるんだ。これが、資本主義だよ!
 この資本主義がうまれる過程を、マルクスさんは「資本の本源的蓄積」と呼んで、この節の前の部分で、イギリスでの資本主義の発生の歴史を詳細に描きだしているんだよ。その過程を見ると、個々の労働者がもっていた土地などの生産手段が乱暴なやり方で取り上げられ、それが資本の手に集中する、労働者は生産手段を失って、もはや自分の労働を売る以外に道のない状態で、社会に投げ出される、一口で言えば、こういう過程なんだよ!(P139)
 日本でも明治維新以後、同じようなことが大規模にくりかえされたよね!

花ちゃん:

たしか、富国強兵策というのを習ったわね!農村から都会の工場へ、たくさんの人が出ていったんだわよね!それと、家内手工業から大規模工業へ変わっていったわね!

太郎さん:

資本主義では、生産手段が資本家のものだから、労働者が働いても、労働の果実(生産物)は、もう労働者の手に入らないんだ。
 その一部にあたるものが、賃金という形で支払われはするが、労働の生産物は、資本家のものになってしまう、これが、マルクスさんのいう「資本主義的な私的所有」っていうんだよ!

花ちゃん:

搾り取られる労働者と、肥え太る資本家は、資本主義のなかで、どうなってゆくの?

太郎さん:

(ハ)次は、こうして生まれた資本主義が、どういう発展の道を描くかなんだよ!
 自分の足で立つようになった資本主義は、生産力をより社会的に、より大規模に技術的にも、より高度に発展させてゆくんだ。ここでの分析の一つの特徴は、マルクスさんが生産力発展のこの過程に、未来社会の物質的な土台がどう準備されるか、という角度から、目を向けているところにあるんだよ!それは、
・ますます規模を拡大する労働過程の協業的形態。
・科学の意識的な技術的応用。
・土地の計画的利用。
・共同的にしか使えない労働手段の転化。
・結合された社会的な労働の生産手段として使用することによる、すべての生産手段の節約。
・世界市場の網のなかへのすべての国民の編入。
・資本主義体制の国際的性格の発展。
 マルクスさんがあげている資本主義の発展のこれらの特徴は、すべて、資本主義から社会主義に受けつがれるものだし、また、利潤第一主義から開放された社会のもとでのみ、いっそうの本格的な発展をとげられるはずのものなんだよ!

花ちゃん:

それで、労働者と資本家は、どうなったの?

太郎さん:

チョット、マルクスさんの文章を見てみよう!
 「貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する」。マルクスさんが、社会変革を経済の自動的な運動と考える自然成長論者でなかったことは、こういう文章にも、よく現われているんだ!

花ちゃん:

「資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級」か!
 現代の大企業で働いている労働者、そのものじゃないの!

太郎さん:

だよね!マルクスさんは、社会主義の土台をなす物質的諸条件がどのように用意されているのかを、綿密に科学的に分析すると同時に、変革が現実のものとなるには、労働者階級の主体的な条件の成熟−−それも、抑圧・搾取の増大という客観的な面だけでなく、資本主義の機構のなかでの「訓練」「結合」「組織」という主体的な側面が決定的な意味をもつことを、経済学の文章のなかでも、きちんと指摘しているんだよね。

花ちゃん:

それで、資本家はどうなるの?

太郎さん:

こうして、資本主義の私的所有の枠組み(マルクスさんは『資本主義的な外被』と言っている)が生産力の巨大な発展との調和しがたい矛盾におちいり、労働者階級の主体的な条件も成熟する時期がやってくるよね!そのことを、マルクスさんは、有名な名調子で、次のように描きだしているんだ。
 「資本独占は、それとともにまたそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏(しっこく:手かせ足かせ)となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被(がいひ)とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される。資本主義的私的所有の弔鐘(ちょうしょう)が鳴る。収奪者が収奪される。」
 つまり、小経営の収奪の次の段階は、「新しい収奪」・・・少数の資本家が「多くの資本家を打ち滅ぼす」過程がすすむってことだね!(P144)

花ちゃん:

「収奪者が収奪される」か!労働者は「訓練」「結合」「組織」されるか!多数の労働者VS一握りの収奪者か!資本主義は、この先、どうなるの?あれ、これって、今、世界中で問われていることじゃないの!

太郎さん:

では、お答えします!
(ニ)最後の文章で、マルクスさんは、いよいよ、社会主義・共産主義の社会とは、どんな社会になるのか、という問題に、議論をすすめているんだ。
 生産が、生産者の大規模な協業によっておこなわれ、一国の全体だけでなく、世界市場をも対象にするところまで、生産が社会的になっているのに、生産手段が個々の資本家や私企業に握られ、その生産物もすべて個々の資本家あるいは、私企業の所有となっている、この「資本主義的私的所有」のうちに、利潤第一主義をはじめ、資本主義のあらゆうる矛盾の根源があるんだ!

花ちゃん:

それじゃ、その矛盾を、どのようにして乗り越えるの?

太郎さん:

この矛盾と害悪を乗り越えた新しい社会は、この矛盾を、生産手段の社会化ーー生産手段をその社会的な性格にふさわしく、社会の手に移すという形態で、解決しなければならない、という結論なんだよ!

花ちゃん:

エ〜〜ッ!生産手段の社会化って、国営化のこと?ソ連がやって失敗したり、親方日の丸で日本国民からブーイングのあったことを、やろうっていうの?

太郎さん:

たしかに国営化も社会化のひとつだけど、マルクスさんの言っていることを、もう少し聞いてみよう!
 マルクスさんが、資本主義の発展を論じたところで、特徴的なことを数えあげたように、その物質的な条件は、資本主義の胎内ですでに発展していたんだ。
 マルクスさんは、社会主義・共産主義の社会について、「結合した生産者たちの社会」という言葉でよく表現しているんだ。
 社会というのは、生産者たちの共同社会ということであり、生産手段が社会的所有となるという場合にも、当然、結合社会の一員として、すべての生産者がその所有に参加することになるんだよ!

花ちゃん:

「結合した生産者たちの社会」か!いまいちボヤ〜ッとして、よくわかんない!

太郎さん:

前にも話したけど、マルクスさんは、具体的な青写真をしめしてくれていないんだ!でも僕たちが、こうしたいと思う未来社会へのヒントは、たくさん残してくれているんだよ!
 新しい社会では、生産の社会的性格や生産者による大規模な協業など、資本主義の成果を全部うけつぎながら、その成果の基礎のうえに、生産者と生産物との断ち切られた関係を回復するんだよ!
 生産物のうち、生活手段は、生産者個人の所有となって、個人的に消費されるんだ。生産手段は、社会の体制として、生産手段の共有にもとづく社会的な生産がおこなわれているのだから、新しくつくられた生産手段も、その社会的な共有体制のなかに組み込まれてゆくんだよ!

花ちゃん:

つまり、「結合した生産者たち」が、共有化された生産手段を使って生産した物のうち、生活手段は生産者個人へ、生産手段の方は新らたに共有体制へ組み込むってことなのね!

太郎さん:

花ちゃんの言う通りかもしれないね!
 搾取がなくなった新しい社会では、生産者は、こういう形で、資本主義時代に失っていた自分の労働の生産物にたいする所有権を、全面的に回復することになるんだよ!
 生活手段については自分個人として!生産手段については生産者の共同社会の一員として!
 マルクスさんは、このことを、協業と生産手段の共有を基礎とした「個人的所有の再建」という言葉で表現したんだよ!

花ちゃん:

マスコミでよく「共産主義になると私有財産を取り上げられる」という話をしているけれど、どうなの?

太郎さん:

マルクスさんが、資本主義を乗り越えて社会主義・共産主義に前進する展望を、生産者の「個人的所有」を再建するものだと説明していることは、たいへん大事なことなんだ。それは、個人から財産をとりあげるものだという悪宣伝のでたらめさを、一撃で明らかにする力をもっている、と言ってもいいんじゃないかな!

花ちゃん:

それじゃ、「共産主義になると自由がなくなる」ということについては、どうなの?

太郎さん:

マルクスさんは、経済のこういう土台のうえに、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする」共同社会が生まれると言っているんだ。
 これが、マルクスさんが「資本論」で展開している未来社会論の基本点なんだよ!

花ちゃん:

マルクスさんやエンゲルスさんは、あれだけ過去・現在を科学的に分析できたのに、なぜ、未来社会については、ヒントだけ残して、青写真を描かなかったのかしら?

太郎さん:

「科学的社会主義」の未来社会論は、いよいよその時代になったら、日本なら日本の条件のもとで、ヨーロッパならヨーロッパの条件のもとで、その時代の人間が、新しい社会づくりに、その時代的、国民的な条件にふさわしく、智恵や創意を発揮する無限の余地を残してくれているんだよ!
 ここに、「科学的社会主義」の未来社会論の豊かさとその値打ちがあるんだ!

花ちゃん:

ある経済学者が、ソ連が崩壊したとき、"マルクスが描いた共産主義の青写真は完全に失敗した。しかし、マルクスが資本主義にかけた「呪い」は残っている。これをとかないかぎり「資本主義万歳」とは言えない"と書いていたわよね!

太郎さん:

マルクスさんは、共産主義の大づかみな特徴と見通しを明らかにしただけで、青写真などは書いていないんだ!ましてや、スターリンがつくったソ連社会は、政治でも経済でも、官僚専制の体制で、その上にスターリンが君臨していたんだ。
 ソ連社会の多数派は「完全で自由な発展を基本原理」などとは正反対の、人間的自由のない状態を押しつけられていたのだからソ連の崩壊が、マルクスさんの「青写真」の失敗などでないこと、そこで起こったのは、マルクスさんが展望した未来社会の反対物の崩壊であることは、すでに明らかだったんだよ!
 だから、ソ連の崩壊の責任をマルクスさんになすりつけて、共産主義の崩壊を言いたてようと思っても、それは土台無理な話だよね!

花ちゃん:

マルクスさんが死んでから百年以上たつよね!でも、資本主義は、マルクスさんが明らかにした矛盾からぬけだすことができないってわけね!
 バブルとその崩壊のくりかえしなんか、まさにマルクスさんの指摘したとおりの泥沼で、いまでも歩きつづけているわ!
 やっぱり"マルクスの呪い"ってことなのかしら!

太郎さん:

途中までの話は、よかったけど最後は観念論!
 マルクスさんが外から資本主義に吹きかけた"呪い"じゃないよ!
 マルクスさんが発見したのは、現実に資本主義そのものがもっている「魂」であり、その「魂」が矛盾と害悪を二百年にもわたって生み出しつづけているんだから、いくら"呪い"をとりのぞくお祈りをしても、資本主義が資本主義であるかぎり、この矛盾からはのがれられないんだよね!

花ちゃん:

でもネ〜ッ!太郎さんが説明してくれたことは、納得できる所と、できないところはあるけど、何となく正しいんだろうなと思うし!やっぱり正論っぽくて、ちょっと反発するところもあるし、・・・なにか変な気持ちになるのよね!
 チョット、スッキリしたいから、私なりの質問をしてもいい?

太郎さん:

僕に答えられるかな?僕自身もわからなくて質問したいところがあるくらいなんだから!でも、いろんな人の「科学的社会主義」やそれに、まつわるいろんな思いも聞いているから、その人たちの声も聞いてみようね!